歴史的偉人に学ぶ経営学:大黒屋光太夫編

1751~1828年(享年77歳)

回線の船頭として漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。独学でロシア語を習得し、その人格から多くの協力者に恵まれ、帰国を許される。その半生は『おろしや国酔夢譚』(井上靖著)などで取り上げられている。



大黒屋光太夫は、リアリストだが心温かい逆境型リーダーでした。異国の地に漂流し、言葉がわからないところからスタートした光太夫でしたが、乗組員の「日本に帰りたい」という言葉で「覚悟のスイッチ」が入りました。

光太夫は、ロシア人がしきりに言っていた、「それは何か」という意味の「エトチョワ」を使い、ロシア語を書き留めて習得しました。「知り、行動する」ことが、「生きる」ための条件であると知っていたからです。乗組員には「人に葬式を出してもらうなどと、甘いことを考えるな。死んだ奴は、雪の上か凍土の上にすてて行く以外仕方ねえ。......人のことなど構っててみろ、自分のほうが死んでしまう」「自分のものは自分で守れ。......自分の生命も自分で守るんだ」と、生きて帰るための自己責任を強く自覚させました。自分がどんなに不安に思っていても口には出さず、皆が安心感を持つよう、背中で語る光太夫の言葉には、一言一言に重みがありました。

「覚悟」は、光太夫の適応力と生存力だけでなく、行動力や判断力をも引き出します。覚悟ある人は、逆境でもめげず、立ち向かいます。光太夫は言葉だけでなく、日本の政情を把握した上でロシアの実情も理解しようと努め、高官とも渡り合えるまでになり、キリル・ラックスマンなど多くの協力によって女帝・エカチェリーナ2世への謁見を実現します。故郷伊勢を出帆して以来9年間の苦難をロシア語で切々と語り、生き残った仲間の日本への望郷の念を伝えた結果、帰国を許されました。光太夫の思いと行動力が女帝の心を捉えたのです。

光太夫は逆境で生き抜くリーダーシップを示しました。リーダーは、順境では、メンバーの力を「存在・成長承認」で引き出すことが重要ですが、逆境では、最前線に立ち、乗り切り、「覚悟」を持ってあきらめずにメンバーを激励し、鼓舞しなければなりません。光太夫の難破した船は、倒産企業のようなもの。そこでどう行動するか、どのように従業員の生活を守るかで、リーダーの真価が問われます。光太夫は仲間を日本に帰すと「覚悟」を決め、帰るためには生き残ること、エカチェリーナ2世に直接会い交渉することがモチベーター※になり、それを実行しています。

※モチベーターとは動機付け要因

光太夫は「仲間のため」そして「日本に帰すため」という「生きる意味」を見出しました。心理学者ヴィクトール・フランクルの著書『夜と霧』にあるように、強制収容所で生き残ったのはパンの奪い合いに勝った人ではなく、「家族に会う」「この状況を著作に残す」という「意味」を見出した人でした。フランクルは「意味を見出すのが人生の役割」としています。生きがい、仕事のやりがいなどを探すのが人生の旅であるということです。

光太夫は「存在承認」の人です。皆、光太夫に対して特別の愛着と尊敬の念を持ち、光太夫もそれに劣らない愛情を示して、皆に不満がないかつねに最大の注意を払っていたとされています。温かい目で見守り、話をよく聞き、良いところを見出し伸ばす「存在・成長承認」を行っていたからこそ仲間に慕われ、それが原動力となって帰国が実現したのです。

リーダーは生まれつきのものか、と問われます。筆者は、リーダーは「なるもの」だと考えます。例えば、親になれば家族のリーダーとなることが運命づけられているように、「覚悟のスイッチ」が入れば誰でもリーダーになり得ます。「役割期待」、つまり、立場が人を作るのです。分岐点は、与えられた「役割期待」に応える「覚悟」があるかどうかです。そして、慕われるリーダーであり続けるには、自分を客観的に見て、謙虚であり続けること。周りの意見を聞く耳があり、自分を修正できるかが重要です。

光太夫のリーダーシップは、逆境を生き抜く「覚悟」と「承認」のリーダーシップとして時空を超えて学べるものだと思います。※モチベーションを上げ、維持する要因。

※ワールドジョイントクラブ誌、Vol.60、2011年2月21日号寄稿分

跡見学園女子大学・佐藤研究室(リーダーシップ・モチベーション論、経営心理学)